Yoidukiのメモ帳

日記代わりです。

サービスにける多言語化の問題

こんな記事を見つけました: 外国人、受け入れていますか?。 この記事では、日本の国際化におけるあり方を議論しています。 気になったのは、ここでは国籍の問題と言葉の問題を同列に扱っていることです。 私は、国籍のみが異なる2人が、差をつけて扱われるのは差別だと思いますし、問題であると思います。 一方で、言語の問題はどうでしょうか? 例えば、お金のない人とお金のある人で差をつけて扱うのは差別でしょか? 他にも、定職についていない人とそうでない人、大人と子供。 世の中では、様々な能力によって受けられるサービスに違いがあることが多々あります。 これらに当てはまることは、無条件で問題と言っていいのでしょうか?

この記事では、

公的サービスにおける幅広い受け入れ態勢の整備

として、

英語での対応を整えることはもちろん、それ以外の言語でも説明できる仕組みを用意できると良いなと思いました。通訳・翻訳機器の開発だけでなく、様々な分野で外国語を使える専門職など、これからの国際化を支える人材を増やし、活用していくことも必要でしょう。

と言った方策をあげています。 しかし、日本において、多言語の対応を整備していくことは義務つまり、みんなのお金で進めるべきことでしょうか? 私は、国際化をキャッチコピーにした病院を作ることを否定はしませんが、都内の病院で多言語化を事実上義務化すると言ったことには反対です。 追加のサービスとして、通訳のような多言語対応を設けてもいいとは、思いますが、本文でも述べられているような

「おもてなし」の心

として、無条件で無負担で当然の物と言った感覚は、流石に行き過ぎだと思います。